闇土葬と死体遺棄の違いとは?報道の矛盾と違和感

コラム

闇土葬という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。日本では火葬が圧倒的に主流であり、土葬が行われるケースは非常に限られています。自治体によっては土葬を認めていない地域も多く、実際に合法的に土葬できる場所はごく一部しか存在しません。そのため「闇土葬」という言葉は、社会的にあまり馴染みのないものかもしれません。

ところが、先日のニュースでは埼玉県の墓地で「闇土葬」が発覚したという報道がありました。本来の管理区画外に勝手に穴を掘り、許可を得ないまま遺体を埋葬していたというのです。霊園の管理者は大変な迷惑を被り、警察に介入を依頼する事態にまで発展しました。

エラー

もし同じことを日本人が行っていたなら、法律上は「死体遺棄罪」として逮捕される可能性が高いでしょう。にもかかわらず、外国人が関与した場合には「闇土葬」という、どこかニュアンスをぼかした表現で報道されることが多いように感じます。

この記事では、まず「闇土葬」とは何か、その定義や事例を整理します。そして「死体遺棄」と法律的にどう異なるのかを詳しく解説し、なぜ報道ではこの二つが混同されやすいのかを検証します。さらに、外国人による事例が「闇土葬」と表現される背景や、マスコミの報道姿勢の問題点についても掘り下げます。

闇土葬とは何か

闇土葬という言葉は、ニュースなどでたびたび目にするようになりましたが、一般的にはあまり聞き慣れない表現です。そもそも「土葬」とは、遺体を棺に納めて地中に埋める埋葬方法を指します。日本でも戦前までは土葬が広く行われていましたが、衛生面や土地利用の問題から戦後は火葬が主流となり、現在ではほとんどの地域で土葬は禁止されています。例外的に一部の自治体や霊園では宗教的理由などを考慮して土葬を認めていますが、その数は極めて少数です。

一方で「闇土葬」とは、法律や規則に基づかず、許可を得ないまま秘密裏に行われる土葬のことを意味するそうです。つまり「正規の手続きを踏んだ合法的な土葬」とは全く異なり、墓地管理者や自治体の許可なく遺体を埋めてしまう行為です。これは単なるマナー違反にとどまらず、衛生上のリスクや周辺住民の安全・環境問題を引き起こす可能性が高く、重大な社会問題とされています。

実際の事例を見てみると、埼玉県の本庄児玉聖地霊園で発覚したケースが象徴的です。霊園の管理者が普段人が立ち入らない区画に不自然な重機の跡を発見し、調べてみると許可のない墓がつくられていたのです。そこにはパキスタン人グループが14体もの遺体を埋めていたとされ、警察が介入する騒動に発展しました。管理者によれば「200万円を支払う」という念書が交わされたものの、結局彼らは支払いを行わずに姿を消したといいます。これは単なる「宗教的理由による土葬」ではなく、まさに闇土葬の典型的な例といえるでしょう。

闇土葬が特に問題視される理由のひとつは、衛生と公共安全の観点です。火葬と異なり、土葬では遺体がそのまま地中に埋められるため、埋葬場所や方法が適切でなければ地下水の汚染や悪臭の発生につながるおそれがあります。さらに、無許可で埋葬が行われる場合、どこに誰が埋められているのか正確な記録が残らず、将来的に土地利用や墓地管理に深刻な混乱をもたらします。

また、文化や宗教の違いが背景にあります。イスラム教徒を中心に土葬を重視する宗教は多く存在します。日本国内でもムスリムの人口が増加するにつれて「合法的に土葬できる場所が少なすぎる」という問題が浮上しており、その結果として一部で無許可の土葬、すなわち闇土葬が行われていると考えられます。しかし、宗教的な背景があるからといって、社会的ルールや法令を無視してよい理由にはなりません。むしろ正規の手続きと調整を経て埋葬を行わなければ、地域社会との摩擦が強まり、かえって宗教的理解を遠ざける結果となってしまいます。

死体遺棄の法律的定義

死体遺棄」という言葉はニュースでも耳にすることが多いですが、実際にどのように定義され、どんな場合に適用されるのかを正確に理解している人は少ないのではないでしょうか。まず前提として、死体遺棄は日本の刑法で明確に規定された犯罪行為であり、その根拠は刑法190条にあります。条文には「死体、遺骨または遺髪を遺棄した者は、3年以下の懲役に処する」と定められています。つまり、亡くなった人の遺体や遺骨などを適切な方法で処理せず、放置したり隠したりすることが犯罪とされるのです。

この「遺棄」という言葉は一般的な「放置」とはややニュアンスが異なり、法律上は「社会通念上適切とされる方法によらず、みだりに処分すること」と解釈されています。たとえば山中に遺体を捨てる、川に投げ入れる、畑や空き地に埋めるといった行為は典型的な死体遺棄にあたります。ポイントは「正当な手続きに基づかずに処分した」という部分であり、それが火葬であれ土葬であれ、無許可であれば遺棄罪が成立する可能性があります。

実際の適用事例を振り返ると、家庭内での事件や事故死を隠すために遺体を自宅に放置するケース、犯罪を隠蔽する目的で山中や海に遺体を遺棄するケースなどが多く見られます。特に報道で取り上げられるのは、親が子を、子が親を、あるいは交際相手が相手を死亡させたり死亡後の発覚を恐れて遺体を隠したといった事件です。こうした場合、たとえ殺人や傷害致死といった重大犯罪が立証されなくても、死体遺棄そのものが成立し、刑事責任を問われることになります。

さらに重要なのは、死体遺棄には「悪意の有無」が必ずしも要件とならないという点です。たとえば「どう処理してよいか分からずにそのままにしてしまった」という状況であっても、結果として適切な埋葬や火葬を行わずに放置すれば、死体遺棄と判断される可能性があります。つまり「故意に隠した」場合だけでなく、「正しい方法を取らなかった」こと自体が処罰対象となるのです。

では、もし遺体を勝手に埋葬した場合はどうなるでしょうか。これも死体遺棄罪に該当する可能性が高いといえます。たとえ遺族や関係者が「丁寧に埋葬した」と主張しても、自治体や墓地管理者の許可を得ずに行った時点で「みだりな処分」とみなされるのです。つまり、先に紹介した「闇土葬」のようなケースも、法律的には死体遺棄に含まれる余地があります。

一方で、法律上の死体遺棄罪は比較的軽い刑罰にとどまるのも特徴です。懲役3年以下という規定は、殺人罪や傷害致死罪と比べればはるかに軽いものです。しかし社会的評価は非常に厳しく、遺族や地域社会に与える不安や嫌悪感は大きなものがあります。そのため、実際の刑罰以上に社会的制裁が重くのしかかるケースも少なくありません。

日本人が関与した事件では、報道において「死体遺棄事件」と明確に書かれることが一般的です。たとえば、山中に遺体を埋めたケース、アパートに遺体を放置したケースなどは、ほぼ例外なく「死体遺棄容疑で逮捕」と伝えられます。こうした一貫性のある表現は、読者に「これは犯罪である」という強い印象を与え、法的な重みを明確に伝える効果があります。

闇土葬と死体遺棄の違いを整理する

ここまで「闇土葬」と「死体遺棄」を個別に見てきましたが、この二つの言葉はしばしば混同されます。特に報道においては、同じような行為であるにもかかわらず「死体遺棄」と断定される場合と「闇土葬」と表現される場合が存在し、その違いが読者に混乱を与えています。ここでは両者の定義や使われ方の境界線を整理し、なぜ表現が分かれるのかを考えていきましょう。

まず、法律的な観点から見れば「死体遺棄」は明確に刑法190条に規定された犯罪です。遺体をみだりに処分した時点で成立し、許可のない埋葬も含まれるため、無断で遺体を土に埋める行為は死体遺棄罪として処罰の対象になり得ます。一方、「闇土葬」という言葉は法律用語ではなく、あくまでマスコミや社会で使われる通俗的な表現です。意味合いとしては「不法な土葬」や「無許可の埋葬」を指すものの、厳密な定義は存在しません。つまり、法律上は両者はほぼ同義に扱われる可能性があるにもかかわらず、表現のレベルでは「闇土葬」という独自の呼び方が生まれているのです。

では、なぜ「死体遺棄」と呼ばずに「闇土葬」と報じられるのでしょうか。考えられる理由の一つは、宗教的・文化的背景です。イスラム教など一部の宗教では土葬が必須の葬送方法であり、日本国内でも信徒による埋葬ニーズは存在します。ところが日本では火葬が法律的にも社会的にも主流であるため、土葬を行える場所は限られています。その結果、正規の手続きを経ずに「闇土葬」が行われてしまう場合があります。報道機関が「死体遺棄」と断定することを避け、「闇土葬」と呼ぶことで「宗教的要因に基づく特殊な行為」と位置づけている可能性があるのです。

もう一つの理由は、印象操作の問題です。死体遺棄という言葉は強烈で、即座に「犯罪」というイメージを喚起します。一方で「闇土葬」と表現すれば、同じ違法行為であっても「宗教的背景のある特異な埋葬」といったニュアンスを帯び、一般の人々に与える印象が和らぎます。報道において言葉の選び方は極めて重要であり、この差が事件や関係者に対する世論の評価を大きく左右するのです。

実際に、同じように「遺体を勝手に埋めた」ケースであっても、日本人が行った場合は「死体遺棄容疑で逮捕」と断定的に報じられることが多いのに対し、外国人が関与する場合は「闇土葬」と表現されるケースが目立ちます。つまり、法律上は同じ行為であっても、報道の場面では二重基準が存在しているのではないかという疑念が生じるのです。この違いが、読者に「なぜ扱いが違うのか」という不公平感を抱かせ、社会的不信を増幅させています。

さらに注目すべきは、実際の被害者や関係者の声です。冒頭で紹介した本庄児玉聖地霊園の管理者は「これは死体遺棄と同じだ」と強い憤りを表明しています。彼にとっては宗教的背景よりも「墓地管理を無視して勝手に遺体を埋められた」という事実の方が重大であり、それを「闇土葬」と曖昧に表現することは問題の矮小化につながると感じているのです。この視点からも、法律用語と報道表現の差は社会的に大きな影響を持っているといえるでしょう。

結論として、闇土葬と死体遺棄は実態としてほぼ重なっているにもかかわらず、使われる言葉によって大きく印象が異なるという点が最大のポイントです。

外国人による闇土葬報道の問題点

闇土葬という言葉がニュースに登場する場面の多くは、外国人が関与するケースです。特にイスラム教徒を中心とした宗教的理由による土葬が問題視される場面が報道されることが多く、その際に「闇土葬」という表現が使われる傾向があります。しかし、日本人が同じ行為を行った場合には「死体遺棄」として報じられることが一般的であり、この違いが大きな疑問を呼んでいます。ここでは、なぜ外国人が関与した場合に「闇土葬」と報じられるのか、その背景と問題点を掘り下げます。

第一に挙げられるのは、前述したように宗教的配慮です。イスラム教では遺体をできるだけ早く、かつ火葬ではなく土葬で葬ることが原則とされています。日本では火葬が一般的ですが、外国人住民やその家族にとっては土葬こそが宗教的義務であり、そのニーズが存在するのは事実です。報道機関はその宗教的背景を尊重するあまり、「死体遺棄」という強烈な犯罪用語を避け、「闇土葬」と表現している可能性があります。つまり、言葉の選び方を通じて、宗教的慣習への理解を示そうとする意図があるのかもしれません。

しかし、この配慮は一歩間違えば「二重基準」となります。日本人が無許可で遺体を埋葬すれば「死体遺棄」と断定されるのに、外国人が同じ行為をすれば「闇土葬」と呼ばれる。この違いは、あたかも法の適用に不公平が存在するかのような印象を与えます。実際には法律上は誰が行っても同じであり、死体遺棄罪の可能性があることに変わりはありません。にもかかわらず報道表現が異なることが、社会に「外国人に甘い」という不満や「日本人だけ厳しく取り締まられている」という不公平感を広げる要因となっているのです。

また、報道の仕方は読者の理解に大きな影響を与えます。「死体遺棄」という言葉を使えば「明確な犯罪」というイメージが即座に伝わりますが、「闇土葬」と表現されると「違法ではあるが宗教的背景がある特殊な行為」というニュアンスが加わり、同情や理解を誘う可能性があります。その結果、実際の行為の違法性が過小評価され、地域住民や墓地管理者が被った被害の深刻さが正しく伝わらなくなるのです。

さらに、この報道姿勢は外国人自身にとっても必ずしもプラスに働くとは限りません。なぜなら「外国人だから特別扱いされている」という不満が日本社会に広がれば、かえって外国人コミュニティへの偏見や反感を強める恐れがあるからです。つまり、メディアの言葉選びは「配慮」のつもりが逆に「分断」を生む結果となるリスクを抱えていると思います。

マスコミ報道と社会的影響

闇土葬と死体遺棄の違いをめぐる問題は、単に法律用語の解釈の違いだけではなく、マスコミ報道の在り方そのものに深く関わっています。ニュース記事で使われる言葉一つが、読者に与える印象や社会的議論の方向性を大きく左右するからです。ここでは、報道における言葉選びがもたらす影響、世論形成におけるマスコミの役割、そして今後求められる報道姿勢について考えていきます。

まず注目すべきは「言葉の力」です。法律上は同じ「死体遺棄」にあたる可能性がある行為であっても、報道で「死体遺棄」と明記されれば読者は即座に「犯罪」と受け止めます。一方で「闇土葬」と表現されると、「違法ではあるが宗教的事情や文化的背景がある特殊な事例」というニュアンスが付与され、読者が抱く印象は大きく変わります。この言葉の選択が、社会の中でその事件をどう位置づけるかを決定づけてしまうのです。

次に問題となるのは「一貫性の欠如」です。日本人が行えば「死体遺棄」と報じられ、外国人が行えば「闇土葬」と表現される。このダブルスタンダードは、報道の公平性を損ない、メディアに対する信頼を揺るがします。読者からすれば「なぜ扱いが違うのか」という疑問が生まれ、ひいては「報道は恣意的に情報を操作しているのではないか」という不信感へとつながります。メディアにとって最も重要なのは正確性と中立性であるはずですが、このような表現の揺らぎはその基盤を脅かすものです。

さらに、報道の仕方は社会的な偏見や対立を助長する可能性があります。「闇土葬」と表現することで宗教的背景への配慮を示したつもりでも、「外国人だけ特別扱いされている」という印象を与えれば、日本人と外国人の間に不公平感が生まれます。結果として、外国人コミュニティへの不信や排他的な感情が強まる恐れがあります。逆に「死体遺棄」と断定的に報じた場合には「宗教的背景を無視している」という批判を招くかもしれません。いずれにしても、報道の仕方が社会の分断を助長するリスクを抱えているのです。

また、マスコミ報道には「世論形成」の側面があります。人々がある出来事をどう理解し、どう評価するかは、多くの場合ニュースを通じて得た情報に基づきます。例えば「闇土葬」という言葉を繰り返し耳にすれば、読者は「外国人による特殊な行為」と認識するようになり、「死体遺棄」という法律上の重大性を見落としてしまう可能性があります。逆に「死体遺棄」と報じられれば「明確な犯罪」と受け止められ、外国人コミュニティへの風当たりが強まることにもつながりかねません。つまり、言葉の選択は世論をどの方向へ動かすかを決定づける重要な要素なのです。

さらに、マスコミは「正確な情報を伝える義務」を負っています。事件の背景に宗教的要素があるのであれば、その事実を正しく説明すればよいのであって、言葉を曖昧にする必要はありません。例えば「死体遺棄の疑いがあるが、背景には宗教上の土葬の慣習がある」といった形で報じれば、法律的側面と文化的側面の両方をバランスよく伝えることが可能です。にもかかわらず「闇土葬」といった曖昧な表現を選んでしまうのは、報道の責任を果たしているとは言い難いでしょう。

まとめ

闇土葬と死体遺棄という二つの言葉は、実態としては非常に近い行為を指しているにもかかわらず、法律と報道での扱いに大きな差が存在します。法律上は、許可なく遺体を埋葬する行為は「死体遺棄罪」に該当する可能性が高く、これは日本人であっても外国人であっても変わりません。しかし、報道の場面では、外国人が関与した場合に「闇土葬」と呼ばれることが多く、日本人の場合の「死体遺棄」とは明確に区別される傾向が見られます。

この言葉の使い分けは、単なる表現上の問題にとどまらず、社会的に深刻な影響を及ぼします。まず、報道における公平性が揺らぎ、「なぜ日本人だけが厳しく報じられるのか」という不満や、「外国人は特別扱いされているのではないか」という疑念を生み出します。次に、事件の違法性や深刻さが正しく伝わらず、地域社会や被害者の感覚との間に乖離が生まれます。さらに、宗教的背景を強調するあまり、かえって外国人コミュニティへの偏見や不信を助長する恐れもあります。

この記事を通じて、闇土葬と死体遺棄の違い、そして報道の在り方について考えるきっかけになれば幸いです。もし次に同様のニュースを目にしたときには、単に言葉を受け取るだけでなく、その裏にある法律的評価や報道姿勢を意識してみてください。それが、より正確で公平な社会をつくる第一歩となるはずです。

タイトルとURLをコピーしました