世界のシリアルキラー10選

コラム

シリアルキラーとは?

シリアルキラーとは、複数回にわたって連続的に殺人を犯す人物を指します。一般的には、犯行の間に時間的間隔があり、計画性や特定のパターンを持つことが特徴です。ターゲットや手口は犯人によって異なり、無差別に人を狙う者もいれば、特定の属性や職業を狙う者も存在します。

シリアルキラーの心理は複雑で、性的衝動、支配欲、復讐心、精神障害などさまざまな要因が絡み合っています。そのため、犯罪心理学や法医学の研究対象としても注目され、プロファイリングや防犯対策の参考にもなっています。

また、彼らの犯行は一見普通の生活をしている人物によって行われることも多く、社会的な信用や外見に騙されることがある点も特徴です。

テッド・バンディ:数十人の若い女性を誘拐・殺害

テッド・バンディ(Theodore Robert Bundy、1946年–1989年)は、1970年代アメリカで恐怖を巻き起こしたシリアルキラーです。彼は魅力的で知的、社交的な青年として周囲に好印象を与えていましたが、その裏で数十人の若い女性を誘拐・殺害するという残虐な犯罪を繰り返していました。バンディの犯行は計画的かつ巧妙で、被害者を騙す手口も巧みでした。大学生や看護師、アルバイト女性など、幅広い層を標的にし、見た目や性格に警戒心を抱かせない手法を用いたのです。

バンディの犯罪は単なる暴力ではなく、心理的な巧妙さが特徴でした。警察の追跡を逃れるために複数州をまたぎ、身分を偽装して近づくなど、その行動は計画性にあふれていました。また、逮捕後も自身のカリスマ性を利用して注目を集め、裁判では自ら弁護人として法廷に立つ姿も見せています。メディアの注目も集め、まるで犯罪映画の主人公のように取り上げられたことも、彼の存在を神話化する一因となりました。

最終的に、1978年に逮捕され、複数州での有罪判決を経て、1989年にフロリダ州で死刑が執行されました。バンディの事件は、犯罪心理学やプロファイリングの研究にも大きな影響を与え、現在も心理学や刑事学の授業で事例として取り上げられることがあります。彼のケースは「外見や社会的地位だけでは人の本性は分からない」という教訓として、今なお語り継がれています。

テッド・バンディ - Wikipedia

ジョン・ウェイン・ゲイシー:パーティークラウンに隠れた冷酷な殺人者

ジョン・ウェイン・ゲイシー(1942年–1994年)は、アメリカ・イリノイ州で1970年代に少年や若い男性を標的にしたシリアルキラーです。表向きは「Pogo the Clown」というピエロに扮し、地域のイベントやチャリティ活動に参加するなど、地元コミュニティに愛される存在でした。しかし、その裏で自宅の地下室に数十人の若者を監禁・殺害するという恐ろしい犯罪を繰り返していました。

ゲイシーは自らの権威と人々の信頼を利用し、犠牲者を呼び寄せる手口を得意としていました。就職斡旋やパーティーへの招待などを装って被害者を誘い込み、地下室に連れ込んで性的暴行の後、絞殺するという一連の犯行を行っていたのです。殺害後は、地下室の床下や家の敷地内に遺体を隠していました。警察の調査が進むまで、地域の人々にはまったく疑われることはありませんでした。

1978年に逮捕されるまで、ゲイシーは少なくとも33人の男性を殺害したとされています。裁判では、冷静かつ計画的に犯行を行ったことが明らかになり、1994年に死刑が執行されました。彼の事件は「外見や社会的立場に騙されてはいけない」という典型例として知られると同時に、ピエロという親しみやすい仮面の下に潜む異常性の象徴として社会に衝撃を与えました。

ジョン・ゲイシー - Wikipedia

ジェフリー・ダーマー:アパートで次々と若者を殺害した「ミルウォーキーの殺人鬼」

ジェフリー・ダーマー(1960年–1994年)は、アメリカ・ウィスコンシン州ミルウォーキーで1980年代に数十人の若者を殺害したシリアルキラーです。彼の犯行は特に凶悪かつ異常性が高く、被害者を自宅のアパートに誘い込み、麻酔や薬で意識を失わせた後に殺害するという計画的な手口が特徴でした。被害者の遺体の一部を保存するなど、心理学的にも極めて異常な行動が見られたことで知られています。

ダーマーは、被害者の多くを性的目的で誘い込み、死後も人体の一部を保持したり、解体して保管するなど残虐な行為を繰り返しました。その手口の冷酷さから「ミルウォーキーの殺人鬼」と呼ばれ、当時のアメリカ社会に大きな衝撃を与えました。また、隣人や友人には普通の青年として振る舞っていたため、長期間にわたり犯罪が発覚しませんでした。

1982年に最初の逮捕歴がありましたが、釈放された後も犯行を続け、最終的には1991年に逮捕されました。法廷では多数の殺人と猥褻行為が明らかになり、1992年に終身刑を言い渡されます。1994年、同房の受刑者に殺害され死亡しました。ダーマーの事件は、計画的で冷静に犯行を重ねるタイプのシリアルキラーの典型例として、犯罪心理学やプロファイリング研究でも頻繁に引用されています。

ジェフリー・ダーマー - Wikipedia

リチャード・ラミレス:「ナイト・ストーカー」と呼ばれた恐怖の侵入者

リチャード・ラミレス(1960年–2013年)は、1980年代後半にアメリカ・カリフォルニア州で活動したシリアルキラーです。「ナイト・ストーカー」の異名を持ち、夜間に住宅に侵入して無差別に殺人、性的暴行、強盗を行ったことで知られています。彼の犯行は計画性と衝動性が混在しており、犠牲者は幼児から高齢者まで幅広く、数多くの家庭に恐怖を与えました。

ラミレスは侵入犯罪の巧妙さでも注目されました。窓や扉から静かに侵入し、家族が就寝している間に被害者を襲うという手口を徹底しており、夜間に誰も気づかないうちに犯行を重ねることができました。また、犯行後には現場にサインや印を残すこともあり、恐怖心を増幅させる手法も用いていました。犯罪の残虐性だけでなく、心理的な恐怖の演出も特徴の一つです。

1985年から1989年にかけて、少なくとも13人の殺害が確認され、多数の強盗や性的暴行事件にも関与していたとされます。1989年に逮捕され、1994年に有罪判決を受け、終身刑となりました。刑務所内で2013年に死亡しましたが、その凶悪性とカリスマ性のある異常行動は、アメリカの犯罪史において強烈な印象を残しています。

ラミレスの事件は、無差別性・侵入性の高い凶悪犯罪の典型例として研究されており、セキュリティや防犯意識の重要性を再認識させるケースとしても知られています。

リチャード・ラミレス - Wikipedia

アンドレイ・チカチーロ:ソ連を震撼させた「ロストフの肉屋」

アンドレイ・チカチーロ(1936年–1994年)は、旧ソ連(現在のロシア)で1978年から1990年代初頭にかけて活動したシリアルキラーで、子どもや若い女性を中心に50人以上を殺害したとされています。その凶悪性と長期にわたる犯行は、当時のソ連社会に大きな衝撃を与えました。チカチーロは一見普通の中年男性として振る舞っていましたが、学校教師や近隣住民からも全く疑われない日常を送りながら、計画的かつ残虐な犯行を繰り返していました。

彼の犯行手口は極めて残虐で、犠牲者を路上や森に誘い出し、刺殺や絞殺した後、遺体を切断して隠すことがありました。また、性的暴行を伴うケースも多く、現場の状況から心理学者や捜査官は異常性格の典型例として分析しました。チカチーロの犯行は複雑で、地方警察の管轄をまたぎながら巧妙に行われたため、長期間にわたり発覚しませんでした。

1984年に一度逮捕されましたが、証拠不十分で釈放され、その後も犯行を継続。最終的に1990年に再逮捕され、1992年に裁判で有罪判決を受けました。1994年に死刑が執行され、彼の事件はロシア史上最も凶悪なシリアルキラー事件のひとつとして記録されています。

チカチーロのケースは、長期間にわたり巧妙に隠れながら犯行を重ねる計画性の高さが特徴であり、当時の捜査体制や社会的状況も相まって、多くの犠牲者を生む結果となりました。

アンドレイ・チカチーロ - Wikipedia

ハロルド・シップマン:信頼される医師が犯した連続殺人

ハロルド・シップマン(1946年–2004年)は、イギリスの医師として活動していた一方で、患者を対象に大量殺人を行ったことで知られるシリアルキラーです。「医師」という立場を悪用し、1970年代から1990年代にかけて数百人規模の患者を殺害したとされ、現代史上最も多くの被害者を出した医療関連の連続殺人事件の一つとして記録されています。

シップマンの犯行手口は巧妙で、注射による致死薬の投与を用いることが多く、死亡診断書に自然死と記載させることで当初は疑われることがありませんでした。被害者の多くは高齢者で、周囲も医師の判断を疑わなかったため、長期間にわたり犯罪が隠蔽され続けました。家族や地域社会からは信頼される医師として知られ、その信頼を利用して犯罪を繰り返していた点が特徴です。

1998年、複数の死亡例に不自然なパターンが見つかり、警察が捜査を開始。1999年に逮捕され、2000年に15件の殺人罪で有罪判決を受け、終身刑に処されました。裁判では、数百件規模の被害が推定され、医療分野の安全管理や死亡統計の重要性が改めて社会的に注目されるきっかけとなりました。

シップマンの事件は、医療の信頼を逆手に取った犯罪という点で異例かつ衝撃的で、通常のシリアルキラーとは一線を画す特徴があります。専門職における倫理や監視の重要性を強く印象づけたケースとして、犯罪史だけでなく社会制度の改善にも影響を与えました。

ハロルド・シップマン - Wikipedia

ハワード・アンルー:12分間で13人を殺害した「ウォーク・オブ・デス」事件の加害者

ハワード・アンルー(Howard Unruh)は、1949年9月6日にアメリカ・ニュージャージー州カムデンで発生した「ウォーク・オブ・デス」として知られる連続殺人事件の加害者です。彼は、わずか12分間の間に13人を射殺し、3人を負傷させました。この事件は、アメリカ史上初の大量殺人事件として記録されています。

アンルーは、第二次世界大戦での戦闘経験を持つ退役軍人で、戦後は精神的な問題を抱えていました。彼は、近隣住民とのトラブルや精神的な不安から、次第に孤立し、暴力的な衝動を抑えきれなくなったとされています。

事件当日、アンルーは自宅からドイツ製のルガー拳銃を持ち出し、近隣の通りを歩きながら無差別に人々を射殺しました。彼の犯行は計画的であり、軍隊での訓練が影響していると考えられています。事件後、アンルーは自宅に戻り、警察に自首しました。

裁判では、アンルーは精神的な障害があると認定され、終身刑を言い渡されました。彼は2009年に88歳で死亡するまで、精神病院に収容されていました。

この事件は、精神的な問題を抱える退役軍人の社会復帰の難しさや、精神疾患と暴力との関連についての議論を呼び起こしました。また、アメリカにおける銃規制の必要性を再認識させる契機ともなりました。

ハワード・ウンルー - Wikipedia

ピーター・サトクリフ:「ストレンジャー・キラー」と呼ばれたイギリスの若者狙いの連続殺人者

ピーター・サトクリフは、イギリス・ランカシャー地方で活動したシリアルキラーで、主に少年や若い男性をターゲットに犯行を繰り返しました。彼は住宅街や人目の少ない場所で被害者を誘い込み、性的暴行の後に絞殺するという残虐な手口を用いました。その冷酷さと計画性の高さから、メディアによって「ストレンジャー・キラー(見知らぬ者殺し)」と呼ばれ、地域社会に恐怖をもたらしました。

サトクリフは巧妙に身分を偽装し、学校や地域で親しまれる存在として振る舞いながら犯行を重ねていました。捜査当局が追跡する中でも、複数の州や地域をまたいで犯行を行い、逮捕まで長期間発覚しなかった点が特徴です。被害者の多くは10代の少年であり、親や地域社会に与えた心理的影響は計り知れません。

最終的にサトクリフは逮捕され、有罪判決を受けて終身刑となりました。

ピーター・サトクリフ - Wikipedia

ゲイリー・リッジウェイ:「グリーンリバーの殺人鬼」と呼ばれた女性連続殺人者

ゲイリー・リッジウェイは、アメリカ・ワシントン州で活動したシリアルキラーで、売春婦や路上生活者の女性を中心に多数の殺害を繰り返したことで知られています。「グリーンリバーの殺人鬼」の異名を持ち、犠牲者の数は少なくとも49人とされ、その残虐性と長期にわたる犯行が特徴です。

リッジウェイの犯行手口は非常に巧妙でした。女性たちを路上で誘い込み、自宅や人気の少ない場所に連れ込んで絞殺。その後、遺体を川沿いや森の中に遺棄して発見を遅らせました。計画性が高く、長期間にわたって被害者が増え続けたことから、警察の捜査は困難を極めました。また、リッジウェイは日常生活では普通の市民として振る舞い、家族や近隣住民からは疑われることがありませんでした。

最終的にリッジウェイは逮捕され、裁判で有罪判決を受けました。彼の事件は、都市部での女性の安全性の脆弱さや、長期間隠れて犯行を重ねるシリアルキラーの危険性を示す典型例として知られています。犯罪心理学やプロファイリング研究においても、長期的に活動する連続殺人者の行動パターンを分析する重要な事例として取り上げられています。

ゲイリー・リッジウェイ - Wikipedia

デニス・レイダー:表向きは家庭的で信頼される父親だが、裏では複数の女性を誘拐・拷問・殺害していた

デニス・レイダーは、アメリカ・カンザス州で活動したシリアルキラーで、「BTKキラー(Bind, Torture, Kill=縛り・拷問・殺害)」の異名で知られています。表向きは家庭的で地域社会に溶け込む父親として振る舞いながら、裏では複数の女性を誘拐・拷問・殺害するという残虐な犯行を繰り返しました。その冷酷さと計画性の高さは、長期間にわたり警察の捜査をかく乱し続けました。

レイダーは犯行の手口を詳細に計画し、犠牲者を自宅や人気の少ない場所に連れ込み、拘束・拷問した後に殺害しました。現場に残された証拠は最小限で、犯行後には手紙やメッセージをメディアや警察に送るなど、心理的優位を示す行動も取っていました。このため、事件は注目を集めると同時に、地域社会に強い恐怖心を植え付けました。

最終的にレイダーは逮捕され、裁判で有罪判決を受けて終身刑となりました。

デニス・レイダー - Wikipedia
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